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2018.05.11

平安神宮が造営されるきっかけとなった、東京奠都の前後に見られる京都・影の時代

内国勧業博覧会のメイン会場、という特殊なバックグラウンドを持つ平安神宮。しかし、平安神宮が創建された当時の京都を知れば、「観光神社」などという指摘は当たらないと気付くでしょう。京都を都として残しつつ新たに東京を都と定め、「遷都」ではなく「奠都」の形を取った複雑な時代を思います。

多くの血が流れた幕末の京都

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今や「京都」と言えば世界的に冠たる観光都市です。伝統がありながら、それに固執するのではなく、常に革新的な試みを続けることで、高い人気を維持してきました。しかし、光り輝く京都にも影の時代はあったのです。その一つが幕末。開国が引き金となり、日本国内のあらゆる価値観が揺らいだ時代、江戸幕府の終焉により、天皇さんのお膝元である京都は政治の中心地となりつつありました。ところが、注目される場所とは攻撃の対象でもありえたのです。京都では次々と血なまぐさい事件が発生しました。また新たな執政の舞台裏でアンチ京都派が暗躍。もう一つの影の時代へと続くターニングポイントとも言うべき「東京奠都」が実行に移されます。

 

京都人の心にぽっかり空いた穴

「江戸」が「東京」と改められ、1868年9月には元号も「明治」に。天皇さんが東京へお出掛けになり、刑部省・大蔵省・兵部省などの京都留守・出張所が次々に廃され、中央行政機関と言えるものが京都からなくなってしまいました。東京への首都機能の移転が進んだことで、「都会の人」だった京都人が一気に「田舎者」扱いされるように。この年の大嘗祭までもがついに東京で行われると京都市民のプライドは切り裂かれてしまいました。しかしそのまま廃れてゆく京都ではなかったのです。

 

まとめ

前篇ではけっして「華やか」とは言えない京都の横顔をお伝えしました。ここから京都がどのような街おこしをし、今の京都の繁栄へと続く礎を築いたのか、続く後篇で読み解きましょう。幕末に各藩の屋敷が建ち並んでいた岡崎は、明治時代の中頃には水田と聖護院蕪の畑が広がる静かな田園地帯となっていました。

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